「信じるか、信じないか」ではない。
「理解しているか、していないか」だ。
信じる、信じないと言っている時点で
自分ではない、誰かに人生を任せているのだから。
ただ良いようにされ、使い捨てにされても
悪いのは自分の人生を手放した自分だ。
誰かを信じようとすればするほど、
自分の心の声は聞こえなくなり,肌で感じる違和感も感じなくなる。
ただ信じる者の作る世界へと閉じ込められていく。
信じる誰かが「人の為、あなたのため」と言えば、自分を犠牲にしロボットになる。
信じる誰かの言いなりに、おかしい事もおかしいと思わず言われた通りに動くロボットになる。
誰かを信じようとするのではなく、理解しようとする人は、
誰かに自分の人生を任せるのではなく、
しっかり自分の人生を…
そして「誰か」を理解しようとする。
矛盾だらけの世の中に、真実を肌で感じることが出来る。
「人のため、貴方のために」はコントロールを強要されていると
「そんな簡単にはいかない」と簡単なことを難しくされるのは誤魔化したいからと
気づくことが出来る。
その無責任な言葉の裏でその人の利益や立場ばかりはよくなっていることが見えてくる。
信じるか…ではなく
理解する事で、自分を取り戻せる
理解する事で、誰か
が悪いわけでも、わたしが悪いわけでもない
と矛盾から離れる事ができる。
そして、誰かに閉じ込められた人生を
取り戻すことが出来る。
本当の自由に生きる世界を自分達で作ることが出来ると
気づくことで、行動も変わる。
あなたは人間か、ロボットか。